お洒落なお店が苦手(だった)

私には姉がいるが、姉は一度離婚している。

彼女が離婚する時、なんというかまあ色々事態が拗れていたので、配偶者が不在のタイミングで荷物を実家に運び出して、別居してから離婚の話し合いをするという手筈になっていた。

引越し作業は、父と私が主に請け負って、体調不良で機能しない姉を横目に見ながらえっさほいさと荷物を運んだ。引越し作業中に、前回家に遊びに来た時に私が忘れていったイヤリングが出てきたのにはちょっと笑ってしまった。私は誰にも言わずにポケットにイヤリングをしまって、努めて明るく振る舞いながら荷物運びに精を出した。

一通り作業が終わって、ちょっと遅めのランチを食べてから家に帰ろうという話になり、近所のカフェみたいなお店に入った。その頃姉が住んでいたのは、私は住む街として選べないようなハイソな住宅街で、そのカフェもいやに単価が高かった。その街に住んでいたのは当時の配偶者の趣味である。顔も覚えていない、いや覚えてはいるが、過去の人なのでどうだっていい。式も挙げていないので(今思うと本当に挙げていなくて良かった)、記録に残っているのは親族顔合わせで行った高級中華で出てきた北京ダックの写真くらいである。お店に入って、それぞれ何らかのメニューを頼んで、あまり会話をした記憶はない。もともと父は寡黙な人であるし、姉もそこまでおしゃべりではない。この場でぺちゃくちゃ喋るようなタイプは私くらいなのだ。でも状況的に、私だってとてもおしゃべりをするような気分じゃなかった。重苦しい空気の中、ちょっとした世間話を2、3交わして、料理が到着するのを待った。時間が永遠みたいに感じた。

ぐるりと店内を見回すと、友達家族で集まりました、みたいなグループが目に入った。皆すごくお洒落だった。東京に住むお洒落な家族のお手本みたいな感じだった。なんていうかものすごく眩しくて、すぐに目を逸らした。人生において、いろんな感情を経験したけど、私が一番みじめな気持ちになったのはこの時だった気がする。私たちのテーブルだけ灰色だった。お店の空気に押されて、口をつぐみ、俯きながら食事をした。姉は泣いていた。苦しいのは全員一緒だった。最初から地元の駅の富士そばに行けば良かったなって、そればかり考えていた。

その後もいろいろあって(こんな一文でまとめたくないくらいめちゃくちゃ色々あった)、気が付けば6年以上経った。姉は再婚して子どもを生んだ。私は姪を溺愛していて、会うたびにジグソーパズルを教えている。姉の家族は実家から歩いて15分くらいのところに越してきたので、頻繁に会うようになった。この週末、雨が降るかもしれないからこちらから赴こうという話になり、母と一緒に姉の家を訪ねた。姉の夫は仕事で不在であり、姪はソファで昼寝をしていた。うっすらと目が開いているような不思議な寝顔だった。

姉が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、最近家族で出かけたというエピソードを聞いた。そこで、パンケーキで有名なお店にランチで入ったという。そのお店に入りたいと言い出したのは夫の方だったらしい。姉もそのお店に入るのは初めてで、飲み物も千円くらいするのでびっくりしてしまって、お水でいいと言ってしまったと笑っていた。姪のお子様ランチと、夫婦の食事を頼んで、それでもそこそこの値段がした。周りにはママ友みたいな集団がいたけど、飲み物もちゃんと頼んでて、あんなお店で毎日ランチしてたらそれこそ4、5千円はしそうな気がする。ていうか、私たちめっちゃ浮いてるじゃんって笑った、でも○○さんが入りたいって言ったんだよ、案外ミーハーだから。行ったことある?△△ってお店。

そのお店舗には行ったことないけど、友達と系列店には行ったことあるよ。確かに飲み物高いなと思ったわ。パンケーキしか食べたことないけど、美味しかったよ。そんな話をした。

別に同じお店の話じゃないのに、どちらも雰囲気が似ていたせいか、私は6年前のことを思い出していた。あの時、お洒落な雰囲気のカフェみたいなお店で泣いていた姉が、今は家族で「私たち浮いてるね」なんて言いながらも楽しんでいることが嬉しかったのだ。それと同時に、案外私の中でも重くのしかかっていたんだなと思った。たぶんそれからずっと、お洒落な感じのお店が苦手だった。でもなんていうか、その原因はそのお洒落さにはないはずで、私の中の薄暗い人を羨むような気持ちがそんな風にさせていた。別にそんなの誰も悪くなくて、お洒落な家族にだってきっとそれなりに色んなことがあるんだろう。今ならちゃんとそう思える。そんな風に思えるくらいには、6年というのは長い時間なのである。

そんなことを思い出しながら編み物をして、気づいたら週末が終わっていた。こんな風にして、また明日から仕事が始まる。