今まさにアイドリッシュセブンにハマっている

今まさにアイドリッシュセブンにハマっています。

こんなことになるとは4月の時点では全く想定していませんでした。しかしこの2ヶ月強で私はすっかりアイドリッシュセブンに傾倒している人になってしまっており、我ながらこの熱量は宝塚以来な気がしているので、将来の自分が面白がるために、ハマりたてのこの時期の記録を残しておくことにしました。

 

私はいわゆる「ヅカオタ」というやつで、2013年頃から最近までずっと宝塚を追い続けてきました。過去形なのはこの4月に、約7年応援していた贔屓が退団したからで、現在は退役ヅカオタとして友人の贔屓が出ている公演を中心にライトに観劇する体制に移行中だからです。

現役時代からずっと、贔屓が退団するという喪失に自分は耐えられるのだろうかと前のめりな心配をしていたのだけれど、期せずしてその喪失を埋めるかの如く私の目の前に現れたアイドリッシュセブンは、改めて「好き」という感情が生活を彩ってくれるのだということを再認識させてくれました。

以下、どのようにしてアイドリッシュセブンと出会ったのか、どのようにしてハマって行ったのか、アイドリッシュセブンの何が好きなのか、について記述します。

(注:この記事における「アイドリッシュセブン」はゲーム・アニメ全般のことを指して書いています)

1.アイドリッシュセブンとの出会い

おそらく友人の紹介がなければ、私はアイドリッシュセブンとは出会っていません。

アプリゲームは脱出ゲームとかジグソーパズルしかやったことが無いし、アニメも全然見なくて自主的に見たことがあるのは友人に薦められたエヴァまどマギのみ、アイドルも自主的に追ったことがない(友人に誘ってもらえればライブに行ったりはする)。

アイドリッシュセブンとの接点がほとんどなかった私がその存在を知ることになったのは、2015年から定期的に友人たちと開催しているオタクサミットのお陰である。

 

その会合では、各自がその時ハマっている趣味や紹介したいコンテンツ等についてプレゼンを行い、一緒に映像鑑賞したりするのだが、これまでジャニーズやK-POP、野球等について学び、課外活動として一緒にライブに行ったりもしてきた。

私は一貫して宝塚および贔屓についてプレゼンを繰り返し、関心を持ってくれた友人たちを観劇に連れて行ったりもした。自分の好きなものを、友人たちと共有できるのは本当に嬉しかった。

最初の接点は2020年12月、ある友人が「応援するとは何か」をテーマに行ったプレゼンだった。その中で、他のアイドルと並んで出てきたアイドリッシュセブンのことを、私は「名前はなんか聞いたことあるかも」くらいの感触で受け止めていた。この時の記憶は若干あやふやだけど、いくつか代表的なエピソードを鑑賞した。確かアニメ2期6話で三月が偶然聞いてしまったファンの自分に対する心無い評価で傷つく話で、あまりの生々しさに心が痛くなったし、その後8話で紡が「一億のNOに勝つYES」を伝えるシーンで「好き」や「応援したい」という気持ちの普遍性に心が震えた。あまり覚えていないが、「心理描写がすごく丁寧なアイドルアニメなんだな」という印象だったと思う。

 

その後、私は贔屓の退団公演が控えており他のことに割く時間が無かったため深掘りをすることはなく、贔屓の退団を待って5月に開催してもらったその会合にて、私は再びアイドリッシュセブンと出会うことになった。

アニメ3期を控えている、ということで、アニメ2期を再び掻い摘んで鑑賞したのだが、これがもう凄かった。Re:valeの過去が明らかになる10話で吐露されるモモの思いに初見の私たちは「そんなことないよ…!」と思いっきり心を揺さぶられ、その後14話の大和さんの「Get back my song…」にめちゃくちゃ動揺し、「黒幕だったの…?」「無理」「もうアイナナのこと推せない」と大騒ぎし、そのまま15話に入るタイミングで「ハッまさかお芝居…?」となって自分たちがまんまと騙されたことに大爆笑した。

15話でモモが無事歌えたことに安堵しその瞬間映る岡崎マネージャーのシーンをなぜか複数回鑑賞したり、とにかくめちゃくちゃな心のジェットコースターを楽しんだ。

「もうすぐ3期が始まるんですよ」と見せられた予告編はあまりに不穏で、えっTRIGGERどうなっちゃうの!?とめちゃくちゃに煽られた。3期はせっかくだし見ようかな、と考え、でもそうなると1期も2期もちゃんと見ておかないとな、と変に勤勉なところを発揮してしまったために今こんなことになっているのである。

 

2.どのようにしてハマって行ったのか

前項の通り、アイドリッシュセブンのアニメを一通り鑑賞することを決意した私は、とりあえずU-NEXTに登録するところから始めた。

結果として、5/24から5/28までの5日間で1期と2期の全話を鑑賞した。多分仕事と睡眠以外の時間をほとんど費やしていた気がする。ついでに仲の良い別の友人たち(ヅカオタ)にも薦めた。友人たちも勤勉なので、私を超えるスピードでアニメを完走し、「教えてもらって良かった」と感想を教えてくれた。

 

私は自分が宝塚にハマった時と似たような行動を取っていることをうっすらと自覚した。ハマりたて初期の衝動と友人たちの巻き込みはまさに身に覚えがある。これはまずいことになった…と頭の片隅では思いつつも、5/30にはついにゲームアプリをダウンロードした。アニメ化されていない部分があるのではと気になったのである。最初に氏名を登録することに戸惑い、途中途中で要求される「ライブ」という名の音ゲーに戸惑い、それでも1部と2部のストーリーをなんとか無事に全部読み終えた。結構忠実にアニメ化されているのだなということと、ストーリーを読むのも面白いけどアニメになると一気にリアリティが増すのでアニメってすごいんだな、という感想を抱いた。

 

そこからしばらくはゲームに触れることはなく、アニメをもう1周するなどしていた。しかしそこに新たな情報が入ってくる。6/14に、アニメ3期の先行上映会があり、オンライン配信で見られるというのだ。

それまで無課金アイドリッシュセブンを楽しんでいたことに対しちょっとした申し訳無さを感じていた私は、ちょっと待てば地上波で見られるけど、せっかくだし3話まで見られるし、何かお金を使いたいし、と軽い気持ちでオンライン配信のチケットを買い、夕飯を食べながら3話まで鑑賞した。この時の体験が一番心揺さぶられてたと思う。3話で気づいたら泣いていた。あまりに辛かったので、話を聞いてもらいたくて友人たちにLINEした。その時送った文章がこちらである。

 

「今日アニナナ3期の先行上映会があってついうっかり配信見ちゃったんですよね、3話まで見られるっていうから…3期、1期・2期の比じゃない重さでマジでこれを毎週見せられるの耐えられるのか?自分?ってなってアプリで3部のストーリーを読むことを決意しました」

「3話のラストで普通に泣いてしまい、なんでこんなことに…って情緒をめちゃくちゃ乱されたんですが、ふと気づいたことがあって、ここ数年宝塚ばっかりずっと観てたから、フィナーレという救済がない物語に立ち向かう体力が落ちている」

(フィナーレとは:公演の最後に見られるラインダンスやパレードなどのショー部分のこと。お芝居で悪役だった人や亡くなった人が、キラキラの衣装を着てあっさり生き返るので、何故か「良かった」と安心することができる)

 

話の途中なのでフィナーレがないのは当然なのだが、久しぶりに心を掻き乱されたことに多分私は動揺していたんだと思う。大和さんと和泉兄弟が寮から出て行ってしまって、この先一体どうなるんだ…続きを知ることができるのが7/25なんてそんなの無理…その一心でアプリのストーリー3部を解放した。

結果として、おそらく3部があったから私はここまでハマっているんじゃないかと思う。それくらい3部がすごく良かった。ストーリーとしての完成度がものすごく高いと思う。音ゲーである「ライブ」の意味も3部にしてようやく理解した。その時そのタイミングで歌われる歌に意味があるのだ。特にそれを感じたのがRe:valeの「太陽のEsperanza」で、Re:vale先輩はあまりに格好良いし久しぶりにTRIGGERを見られたファンの感動を追体験するしで、すごく好きな曲になった。

3部で一番感動したのは、やっぱりTRIGGER の雨の中での屋外ライブだと思う。突如挟まれた映像に驚きつつ、映像の美しさと物語の強さに心惹かれた。そしてそのライブでの九条天の涙を見て、それまで「全員すごく好きだからいわゆる推しが誰なのか決められない」と言っていた私は、「一番好きなのはこの人かもしれない」と直感した。まだ全然深掘りできていないしまだまだ知らないことばかりだけど、この時の気持ちは変わっていないので、多分私の「推し」は九条天なんだと思う。

3部を読み終えた感動そのままに4部のストーリーも解放して、巻き起こるトラブルのスケールが更に大きくなっていることに驚きつつも、続きが気になって読むのを止められなかった。6/19には4部まで全て読み終わり、まだ物語が続いていることに安堵する一方で、これから先何が起こるのかに対して不安を覚えてもいた。これはいつかちゃんと書きたいんだけど、今はとにかく一織のことを心配しています。彼のアイドリッシュセブンおよび七瀬さんに対する過激なまでの献身が気になって仕方がない。大丈夫なのか一織。無理しないでくれ一織。

 

話を元に戻すと、4部を読み終えたあたりから、ゲームとしてのアイドリッシュセブンにもハマり始めていた。「ライブ」という名の音ゲーが楽しくて仕方がなかった。今まで本当にゲームをやってきていないので、最初はEASYモードでも全然出来なかったのが、繰り返しトライするうちにそれなりになっていた。曲も沢山覚えられたし、仕事を終えて疲れた脳をリフレッシュするのにものすごくちょうど良かった。

そんな風にして楽曲を覚え、サブスクでも聴くようになってきた頃、次の爆弾がやってきた。TRIGGERの単独ライブである。

二次元のアイドルでライブとは…?どうやら声優の方がライブをやるということらしい。分かるけどよく分からなかった。しかし私はTRIGGERが好きである。推しは天にぃだし、TRIGGERが最強だと気づいている。TRIGGERのライブならやはり観ておくべきなのではないか。先行上映会と同じような気軽さで、私はオンライン配信のチケットを買っていた。

そして折しも丁度この頃、アイドリッシュセブンがリプトンのアンバサダーに就任し、私は毎日コンビニでリプトンを買っていた。普段、会社では水かコーヒーしか飲んでいないので、いきなり毎日リプトンを飲みだした私を見て先輩が「甘い飲み物を飲んでいるところをはじめて見た。ひょっとしてそのキャラクターと関係があるのか」と訝しげに聞いてきた。私は「パッケージになってるのを見たらなんか嬉しくて…」と照れながら答えた。そう、何だか嬉しかったのである。この時私は「アイドリッシュセブンが好き」という感情が与える生活の彩りを確かに感じていたと思う。

 

そして7月3日になった。残念ながらその週末は予定がありリアルタイムで観られなかったのだが、ツイッターでの盛り上がりを見て、念のため7月4日のチケットも買った。ようやく観ることができたのは月曜の夜だった。結論から言うと、一番の感想は「生でこのライブを見たい」だった。

声優さんが出てくるライブは初めてだったので、最初はキャラクターと声優さんが別物だと認識して見ているのに、最終的にはほぼイコールで見えるようになる感覚に驚いた。声優さんてすごいな。衣装や演出も凝っていて、まさにTRIGGERのライブだった。

そして驚いたのが、気づけば全ての曲が分かるようになっていたことだった。いつの間に…?私、TRIGGERのことめっちゃ好きじゃん…

更に驚いたことに、ついこの間アニメを見たばかりの友人(ヅカオタ)が、私と同じように気になり過ぎて同じようにTRIGGERの単独ライブのオンライン配信を視聴し、セトリの感想を送ってくるようなレベルになっていた。私たちめっちゃTRIGGERのこと好きになってるじゃん…とりあえず、将来観客を入れたライブが開催されたら、一緒に行こうと約束した。

 

以降、毎週日曜夜になるとアニメ3期を視聴し、ゲームの方もイベントに参加するなどして着実にステップアップする生活を続けている。一気に書いてみてあまりの長さに、この2ヶ月あまりに色々なことがあったなと痛感している。

 

3.アイドリッシュセブンの何が好きなのか

前項の振り返りがあまりにも長くてちょっと息切れしているのだけれど、なぜここまでハマったのか、私はアイドリッシュセブンの何が好きなのか、について考えてみた。

 

①ストーリーが面白い

最大の魅力は、「ストーリーが面白い」こと、これに尽きると思っている。

アイドルがテーマと聞くと、「衝突することもあるけれどお互いを理解しあい高めあうアイドルたち」とか「ライバルグループとの切磋琢磨」みたいな、美しい青春ストーリーみたいなものを想像してしまうのだが(いやそういう要素もちゃんとあるのだが)、アイドリッシュセブンは「アイドルたちが個として抱える問題の重さ」や「発生するトラブルの深刻さ」によってストーリーのリアリティや展開の緩急を生み出しており、こちらの気持ちを引き込んでくる。その真骨頂が3部だと思っていて、アニメ化されることで更にその魅力が増すことに期待しかない。とにかく面白いので見て欲しい。その気持ちに尽きる。先行上映会で3話まで見て「しんどい」とか言ってたくせになんだけど、でも本当に面白いので…いや、しんどいことも多いけどしんどいだけでは終わらない(と思う)ので、信じて見て欲しい。そんな気持ちです。

 

②心理描写が丁寧

最初にアニメを見た時から感じていたことである。

これは「アイドルたちが個として抱える問題の重さ」とも繋がる話なのだが、それぞれが抱える問題、その背景、引き起こされる葛藤などについて繊細な心理描写がなされており、アイドルたちがそれぞれ一人の人間であること、彼らの人生があることを理解することができた。

彼らは決してストーリーを動かすための記号ではなく、アイドルたちが存在してストーリーが動いていることがよくわかる。それを痛感したのが3部で、変化していく世界の始まりと、物語が自然に動き出していくダイナミズムのようなものに引き込まれた。それはやはり丁寧な心理描写の積み重ねによるものだと思う。

あとは人の負の部分とその救済を描くのが上手いな、と思ってみているんだけど、必ず全てを救い上げる訳ではないところが好きです。世の中には解決できない問題だってある。

 

アニメ1期で衝撃を受けたシーンの一つに、環が妹を探して欲しいと頼んだ番組で父親と対面させられるところ、あの時の環の表情の描写はすごかった。あの後、メンバー皆に謝罪するよう求められるも、壮五だけは環の味方をするところもすごく良かった。

個々に問題を抱えていて、それがどんなに深刻でも、どんなに仲の良い人たちの間でも、理解できる/できないが生じてしまう。この話だけじゃないけど、理解しあえないところがあることを分かりながらも、理解できるよう努力したり、それでも一緒にいることを選ぶこと、なんかもう「愛」じゃん…ってなる(急に語彙がなくなる)。

 

描写が丁寧なのはアイドルたちだけじゃなくて、ファンの描き方もすごいと思う。周りの声に惑わされること、他のアイドルに目移りすること、ファン同士で争って疲れること、長らく誰かの「ファン」として生きてきた身には「わかる」ことばかりだった。「好き」という感情にかき乱されるのはファンだけじゃなくて、アイドル自身でもあること。いつだって私たちは感情からは自由になれない。けれどもライブの、公演の、その一瞬のきらめきに「全て」がわかるような瞬間があって、だからファンという生き物をやめられないのだ。そういうことをアイドリッシュセブンを追いながら、私は追体験している気がする。

 

③アイドル同士のやりとりが可愛い

これもすごく重要な要素だが、単体で可愛いのはもちろん、複数人集まってやりとりが発生した時の可愛さがすごい。

それを痛感したのが「アイハケ!」のツイッターなんですが、やりとりの微笑ましさがすごい。まるで、スカイステージ(CSの宝塚専門チャンネル)みたいだな…というのが最初の感想だった。スカイステージはすごくて、本当に丸一日宝塚に関する番組しかやっていないのだけれど、公演映像以外に、タカラジェンヌたちがキャッキャしながらものすごく平和なゲームに興じる映像をたまに見ることができる。本当にそんな感じなのである。ひょっとしてこの人たちもフェアリーなのかな。陸くんも「天にぃは天使だよ」とか言ってたからそうなのかもしれない。

 

最近「アイドリッシュセブンと宝塚は親和性がある」説が(私の中で)浮上していて、元々ヅカオタだった私がこんなにがっつりハマっているのも私の友人が道連れになっているのも、私にアイドリッシュセブンを教えてくれた友人の師匠が元々宝塚ファンだったらしいというのも、その説を強化しているのだが、どこに親和性を見出しているのかは正直まだ言語化できていない。しかし一つの要素として、このフェアリー的可愛さが共通点なのかなと思っている。

 

話は逸れるが、たまに見られる「トンチキさ」も共通点の一つなのかもしれない。この間までアプリゲームの方であったイベント「オリンポスタウンの華麗なる日常」は、劇中劇みたいな感じなんだけど、神話の世界かつ商店街が出てきて宝探ししてて、正直何がどうなったらこうなるのかよく分からないのだが、宝塚における「トンチキ」なもんって思ったらスッと受け入れられた。

そしてなぜか私は、「アイドリッシュセブンでなら『邪馬台国の風』を再演できるな…」と考えていた。もう脳内で配役も決まっている。『邪馬台国の風』は卑弥呼がヒロインの古代ロマンである。見せ場が盟神探湯(クガタチ)、効果音で終わる合戦シーン、「ヒミコ様が男子を帳の中に侍られた」ソング、「風って一体なんだったんだろう」と思ってたら急にビュウビュウと風の音が効果音として入れられるラストシーンなど、1回しか観てないのにいつまでも忘れられない作品である。主演の明日海りおが類稀なトップスター力で捩じ伏せていたこの作品、きっと七瀬陸の真ん中力でなら成立させられるはず…

 

4.終わりに

あまりにも長くなってしまい、当初自分が何を書きたかったのか正直忘れつつあるのだが、一番記録に残しておきたかったのは、「アイドリッシュセブンに出会って、何かを/誰かを好きになることによる楽しさや喜びをまた味わっている自分がいる」ということだった。

贔屓の退団前は、贔屓が退団したら喪失感で燃え尽きてしまうのではないか、もしくは贔屓のことを忘れてしまうのではないか、と今となっては考え過ぎな不安を抱えていた。

しかし今、また別の好きな人たちが居て、そして並行して贔屓のことも好きなままでいる(退団後も活動するだろうとは思っていたけれど、芸能活動を続けてくれることが分かって本当にうれしかった)。ひょっとしたらこれらの気持ちは移ろっていつかは消えてしまうのかもしれないけれど、それでも「好き」でいることをやめたくないなと思っているし、変化していく自分自身の感情も受け入れられるような気がしている。